秋の夜長の、大宴会
釣る瓶落としと呼ばれる秋の日没も、晩秋ともなればさらに早く暮れていく。
「ごめんでござる。」
既に戸締りを終えた茶店の戸を、控えめに叩く音がする。
明治と平成を繋ぐ、時空の間にあり、そこを行き交う人々に暫しの安らぎを与え
る、旅籠兼茶店の『風花庵』。
「申し訳ありませんが、本日は閉店致しました。またのお越しをお待ち申し上げて
おります。」
風花庵の女将美咲は、戸口の中から断りの口上を述べた。
「それは承知でござる。・・・申し訳ござらんが、拙者は客ではござらん。美咲殿
に会いに参ったでござる。」
「私にですか?」
思いも掛けぬ訪問者の言葉に、美咲は目を丸くした。
(日が暮れてから、誰が私を訪ねてきたの?・・・でもこの話方、何処かで聞いた
ような・・・。まさか!明治の流浪人?!)
美咲は興奮を押えきれず、戸外に佇む客人に問い掛けた。
「あなたはまさか・・・、剣心さん?」
「そうでござるよ、拙者は緋村剣心でござる。」
戸の向こうで、優しく微笑む顔が目に浮かぶ様な、穏やかな声であった。美咲は
思わず鍵を外し、戸を開けていた。
外はすっかり、夜の帳に覆われていた。
暗闇の中、月明かりを浴びて、流浪人は立っていた。美咲の心に浮かんだ通り
の、優しい笑顔で。
「剣心さん・・・?」
「はいでござる。」
戸惑いがちに、美咲が呼びかけてみると、剣心は笑顔のまま答えた。
「私に何の御用でしょうか?」
ドギマギしながら問い掛けた美咲に、剣心は静かに語る。
「十一月十一日に泊めて欲しいでござる。」
「剣心さんが、お泊りですか?」
「いや、拙者だけではござらん。五人お願いするでござるよ。」
「五人様でございますか?」
美咲は何時の間にか、女将の顔になっていた。
「そうでござる、五人でござる。そして宴会もお願いするでござる。余り予算が無
いでござるから、ちょっとしたものにして欲しいでござる。こちらは、六人でござ
る。」
「かしこまりました。十一月十一日に、六人様のご宴会と五人様のお泊りでござい
ますね。確かにお受け致しました、お待ち申し上げております。」
頭を下げる美咲に、柔らかい笑みを残し、明治の流浪人は帰って行った。
約束の十一月十一日。
朝から風花庵は、宴会の準備に追われていた。何しろ、女将が驚きと緊張の余
り、お客達がやって来る時刻も、宴会の開始時間も聞いてなかったのである。
日頃、あまり忙しいとはいえない店であるが、その日は女将自らが、フル回転で
働いていた。
「五人が泊まると言っていたから、当然剣心さんと薫さん、左之助さんに恵さんも
来るでしょうね?そうすれば、後の一人は弥彦君で決まりね!」
客室を整え、広間へ向いながら美咲は呟く。
「季節柄、お酒は燗の方がいいかも・・・?でも、弥彦君が来るなら、他の飲み物
も用意した方がいいでしょうね・・・。ところで、宴会にだけ現れる客って誰だろ
う?まさか、比古師匠では・・・?」
慌しく時間が過ぎ、西の空が茜色に染まっていった。
すっかり暮れた秋の夜空に、満月が輝く頃、彼等はやって来た。
「ごめんでござる。」
待ち続けた声に、美咲は玄関へ急いだ。
暖簾を開けて入って来たのは、相変わらず穏やかに微笑む流浪人。
「世話をお掛けするが、宜しく頼むでござる。」
「こんばんは。」
「おう、世話になるぜ。」
「初めまして、お世話になります。」
「こんばんは。」
剣心の後から、美咲の思っていた通りの顔ぶれが入って来た。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。」
女将は小縁で両手をついて、一行を出迎えた。
彼等が通されたのは、少人数用の宴会場『梅の間』である。こじんまりとしてい
るが、掃除の行き届いた清々しい部屋である。
彼等が其々、並べられたお膳の前に落ち着いた頃、女将が挨拶に現れた。
「本日はようこそ、お越し下さいました。『風花庵』の美咲でございます。」
「美咲殿、待っていたでござるよ。」
「さあ、此処に座って。」
剣心と薫が手招きしている。
「はい?」
座敷を見回すと、左之助、恵、弥彦も笑いながら頷いていた。
さっぱり状況が飲み込めず、唖然としている美咲の手を取り、薫が床の間を背にし
た上座へと誘う。
「あのう〜、其処は比古師匠の席ではないのですか?」
「えっ?師匠は来ないでござるよ。」
剣心が目を丸くしている。
「では、もう一人のお客様は、後からいらっしゃるのでございますか?」
「客は拙者達だけでござるよ。」
「では、このお席は空けて置くのでございますか?」
驚く美咲の問いに、剣心はにっこり微笑んで答えた。
「美咲殿の席でござるよ。」
「何と、仰いました?」
「今日は、『風花庵』の創業四周年記念の日ではござらんか?」
「そうよ、私達はお祝いに来たのよ。」
突然剣心が現れて以来、美咲はその事をすっかり忘れていた。それほど、剣心と
の遭遇は、彼女にとって大事件であった。
「そうとわかれば、さあ席に着いて。今日の主賓は美咲さんよ。」
「そんなに固くならないで。さあ、一杯空けて。」
徳利を手にした恵が、美咲に盃を持たせ、酌をした。
「でも、お客様の席に座るなんて、とても・・・。」
「何言ってんでぇ!どうせ客は、俺等だけだろう?気にする事は、何にもねぇ
ぜ。」
「早く座ってくれないと、何時までたっても、始まらないんだよ。」
戸惑う美咲の肩を、笑いながら左之助が叩き、弥彦が早く座れとい催促する。
美咲は彼等に勧められるまま、上座に着いた。
「それでは、美咲殿。『風花庵』創業四周年、おめでとうでござる。」
「おめでとう。」
「これからも、しっかりね。」
「おめっとうさん。」
「おめでとう、美咲。」
剣心の音頭で乾杯をし、宴は始まる。
まるで昔からの知り合いだった様な、和やかな空気が流れている。
「皆さん、ありがとうございます。でもどうして時空を越えてまで、わざわざ来て
下さったのですか?」
どうにも不思議でならない美咲は、剣心達に問い掛けた。
「美咲殿は四年もの長きに渡って、拙者達の事を語り継いでくれているでござる
よ。」
「そうよ、お陰で私達は、百年先の世でも愛されているのよ。」
「幸せな未来をありがとう。」
「おうよ、俺達を一緒にしてくれたしな。」
「ちょっと、もう少し気の利いたことは言えないの?」
「何だよ、俺は正直に言っただけじゃねぇか!」
「うるせぇな、痴話喧嘩なら外でやれよ。」
「何だと?こらぁ!」
照れながら怒る左之助を弥彦は無視して、真っ直ぐに美咲を見た。
「美咲、これからも宜しく。」
真っ正直な弥彦の瞳を見詰め、彼女は右手を差し出した。
「こちらこそ、宜しく弥彦君。」
「おう!」
幾分頬を染めた少年も握手を返した。
すっかり打ち解けた、明治と平成の住人達は、夜が更けるのも忘れて騒いでいた。
何時の間にか眠っていた美咲は、窓から差し込む朝の光で目覚めた。
気が付くと、彼等の宿泊した部屋の布団に寝かされていた。
「わぁ〜、何時の間に眠ちゃったんだろう!大変〜!」
布団から飛び起きて、美咲が辺りを見回すと、きちんと片付けられた部屋には、す
でに誰もいなかった。
「あれっ?剣心さん達は・・・?」
襖に手を掛けようとした彼女の目に、文机に置かれた封書が留まった。
「何かしら?」
封書の中には、宿代と手紙が入っていた。
「美咲殿、昨夜は本当にお世話になったでござる。あんなに楽しかった事は、本当
に久しぶりでござる。拙者達が、此方の世界に居られる時間が迫っておるので、失
礼致す。あまりに気持ち良さそうに眠る美咲殿を、起こすのも気の毒でござるか
ら、このまま帰るでござる。挨拶もなしでお暇する無礼を許してくだされ。
また何時か出会える事を、楽しみにしているでござる。
緋村剣心」
お世辞にも上手とは言えない字が、優しく語りかけてきた。
「剣心さん、皆さん・・・、ありがとう。」
美咲は手紙を抱き締めると、窓から見える時空の森へ向い、ペこりとお辞儀をした。
完
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