*…ある日の午後に…*

ある日の午後に

 

 

 

「あちぃ。」

 

井戸の冷たい水で

水遊びをしているあやめとすずめをよそに

悪一文字の一張羅を枕にして診療所の

縁側に、左之助はべたっと横になっていた。

 

「…あちぃ…」

「わかってるわよ!余計暑くなるからやめて頂戴!」

 

二度目に左之助がそう口にしたとき

この暑いのに涼しそうな顔をした

女医者が一人、叱咤を

飛ばしたのだった。

 

「うっせぇな…あちぃもんはあちぃんだよ…」

 

その医者…恵が使っていたうちわを奪い取ると

起き上がってガシガシと頭を掻いて

バツが悪そうに恵の方を見た。

 

「…そんな暑いんだったらあの二人に遊んでもらいなさいな」

 

恵は白い指先をすずめとあやめの方に向け

軽くため息をついた。

 

「あぁ…?弥彦じゃああるめぇしよ…んなガキくせぇことできるかっての…」

 

「じゃあ黙ってらっしゃい」

 

もう一度うちわを奪い返すと手のひらをひらひらさせて

しらっと言った。

 

恵は涼しそうだ。

普段はおろしている長い髪を

高い位置で結わえていて首筋に光る汗も見える。

だが何故か涼しそうなのである。それが女性であるからなのか

自分が暑がりなだけであるのか…

それとも恵だからであるのか…

 

左之助はしばらく考えたが

暑さのせいかそれすらめんどくさくなって

手のひらでうちわを作って言った。

 

「あちぃ…」

「あー…もう!!分かんない人ね、あんたは!」

「うちわ貸せ。」

 

左之助は悪びれない様子で

手のひらを恵の方に向けた。

 

「いやよ、私だって暑いんだから。何であんたなんかに貸さなきゃいけないの」

 

一度うちわを仰ぐ手を止めて

恵はけだるそうに言った。

 

「だってよ、おめぇ一人、なんか涼しげだぜ?

俺なんてこんな汗かいてるってのに…。」

 

向けた手のひらを早くと言わんばかりに

ぷらぷらさせて、左之助もまたけだるそうに言った。

 

「そうかしら?暑いわよ。暑い暑い暑いっ!だから貸さないわ!」

「いいじゃねぇかこのドケチ女!譲れっての!」

 

この二人は一定の時間はなしていると

必ずけんか腰になってしまう。

今日もまたその例外ではない様子だが

もうすずめとあやめも慣れっこなので

二人のことなど気にしないで相変わらず井戸水をかぶったりして遊んでいる。

 

「ドケチですって?毎日毎日あんたにタダ飯食べさせてあげてんの

誰だと思ってるのかしら?」

「さぁー…誰だったかねぇ…。」

 

左之助は縁側をぼーっと見渡してそう言い放つ。

その横で恵は白いはずの頬を怒りで赤く染め

ぷるぷるとその拳を振るわせた。

ここで自分が怒ってはいけない、と年下の男を横目で見やり

一度ふぅと息をつく。

 

「…今日の夕餉…あんたの好きな肉じゃがなんだけど…いらないのね?」

 

と余裕の笑みを浮かべて恵がそう言った。

今まで涼しそうな水遊びに視線を泳がせていた左之助の

肩がかすかに反応する。

 

「あとねぇ…つめたぁい冷奴に…そうそう、今日は美味しいいなり寿司を…」

 

「だーっ悪かったよ!このとーりだっ!」

 

食べ物のことが関わると左之助も命がけ、

ひらりと態度を変えて手のひらを顔の前にやって必死である。

 

それを見て恵は形のいい唇を歪ませ

「嘘よ」と言い放った。

 

「そんなお金うちにあるわけないでしょ、」

と付け加えてうちわをパタパタと仰いだ。

 

しばしの沈黙のあと左之助はやっちまった、という風に

首をうなだれた。

もう喧嘩をする気力もなさそうだ。

もう一度一張羅を枕にストンと横になってしまった。

 

「…あっちぃ…」

 

それでもまたそうつぶやく赤い鉢巻の男を

横に恵はまたため息をつく。

 

それは戦いの時に見せる彼の姿とは違って。

時折まだ少年の香りがする彼に。

 

「仕方ないわね…」

 

そういう恵の声が聞えたあと

左之助の方に心地よい風が吹く。

 

ふと顔をあげると

そこには自分の方にうちわを仰いでくれている恵の姿。

ゆっくりゆっくり往復するうちわを見ながら

左之助は目を閉じた。

心地よい風がくる、夏の午後のお話…。

 

 

復活記念駄文…。(笑)一気に書き上げました。この話の中で二人はまだ恋人ではありません。まだお互いの気持ちなんて分からないで、でも相手の色々な一面を知っていくうちに、『なんだコイツいい所あるじゃねぇか』っていうような微妙な心持ちを表現したかったのです^^                                          2002.8.24

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