*月夜に映える * |
月夜に映える ――悩んでいる体が熱くて、指先は凍えるほど冷たい。 恵は今宵も一人、会津の診療所の庭先で 晩酌をしていた。今日は綺麗なまんまるな月。 東京で見た月と変わらず、凛とした光を放っている。 「綺麗…」 酒を嗜むのは、本当に久しぶりだった。 いつも切り盛りしている診療所が忙しく、仕事が終れば そのままゆっくりと休むか、医学書を読み、勉強する毎日。 いつもはゆっくりと酒など飲んでいる暇はなかった。 いや、それだけではない。一人月を見ながら酒を飲むと どうしても思い出してしまう一人の男がいたから。 酒を飲みたくても、せつなくなる酒は飲みたくなかった。 しかし何故だろう、今日は酒を飲みたくなる条件が揃っている。 この前診た患者さんがせめてものお礼と美味しいという酒を持ってきてくれた。 そして、月は満月。風は春を告げ、髪を優しくなでる。 ――とくとくとく。 徳利からお猪口へと冷酒が注がれる。 ちょうど一ヶ月ほど前。 東京で久しぶりに皆に会って、花見をしたあの時以来の酒だ。 剣さんと薫ちゃんは剣路君という可愛い子供に恵まれ、優しく微笑んでいた。 弥彦君もずいぶんと男らしくなって、 燕ちゃんも可愛らしい女性へと変わっていく最中で。 でも左之助は―…。 「やっぱり思い出しちゃうわね…」 自分の思惑通り、あの男を思い出している 自分に恵は苦笑する。 その時に剣心から手渡された手紙が手元にある。 けして上手いとはいえない字で書かれた、 しかしなんだか懐かしい筆跡。 恵はその手紙を月に照らしながらひらひらと空に泳がす。 「馬鹿…」 『よう久し振り みんな元気か?一人ぐらい死んでねェか? こっちは今蒙古で元気にやっているあれから米国→欧州→亜刺比亜と まぁ色々と楽しんで来たもう少しここで遊んでから一度日本に帰るんで そん時はうまい白飯とみそ汁頼むぜ じゃあな。』 ――なぁにが待ってろ、よ。 あれから何年経ってると思ってんのかしら…? こうして一人身で待ってるあたしが馬鹿みたいじゃない…。 その筆跡の持ち主を少し気持ちよくなってきた頭で想像する。 赤い鉢巻に悪一文字の一張羅。 ぼさぼさに立った髪。きりっとした目。口が悪いあいつ。 ――あのころと変わってないのはあんただけよ? そう。皆、少しずつ変わっていった。 私の髪も少し柔らかくなって。薫ちゃんは一児の母になって。 剣さんの頬の十字傷は薄くなって。 弥彦くんや燕ちゃんや操ちゃん、四乃森蒼紫―みなそれぞれ、年を重ねていった。 しかし、左之助だけは変わっていない。 恵の記憶に中では、まだあの頃の、19歳の左之助しかいない。 恵はそう思うと少し、悲しいようなもどかしい気持ちになり、 ぐい、と御猪口に残っていた酒を飲み干す。 ――…『もっと飲めや?明日は仕事休みなんだろ?』 最後に酒を飲み交わした時の声が恵の脳裏に響く。 一九のくせにガバガバと酒を飲んでは、「俺はザルだ」と少し得意気に言った。 酒を執拗に勧めては、カラカラと機嫌よく笑う。 冗談もたくさん言っては、自分で笑っていた。 「…『待ってろ』っていうのも酔ってた時の言葉だったっけ?」 最初はあっちが自分に惹かれてあたしは軽くあしらうだけだった。 けど…気がついたときには自分の方が好きになっていて。 叶わなかった恋に隠れて、気がつくのが遅くなったけれど。 「左之助…」 気がつけば名前をつぶやいている。 寂しくて眠れない夜は特に。 誰でも良いから傍にいて欲しいなど、自分の気持ちに気づいてから 思わなかった。ただ傍にいて欲しいのは 年下の生意気な…。 ふっと眠気と酔いが恵を襲う。 気がつけば徳利に入れてあった 『ちょっとだけ』の酒はもう雫としてしか残っていない。 「月…雲に隠れちゃったわね…。」 月見酒のつもりが一枚の手紙と 自分の寂しさと酒を飲んでいた恵は 雲に隠れても尚、光を絶やそうとしない月を見、 ふぅとため息をつく。 「綺麗…」 今日二度目のその言葉をつぶやく。 あぁ、本当に綺麗。 不安という雲が流れてきても 自分の気持ちを信じて光っている月。 その不安は流れてはまた新たにやってくる。 それでも雲の切れ間から覗くは純粋で真っ直ぐな光―― その儚い月を優しい瞳に写し 恵はふらつく足で立ち上がった。 ―あたしもなってやろうじゃないの。 あいつが何時帰ってくるかなんて見当もつかないけれど。 思い続ける気持ちを大切にして。 待ってろっていうあの言葉、信じて。 「待っているから―…ね」 蒼く輝く月の向こうに 想い人の面影を見つけ 恵はそっとつぶやいた、 先ほどの寂しさが全て消え去ったわけではない。 だが晩酌を始める前の恵の気持ちとはあきらかに違った、 優しい気持ちが恵の中に揺れていた。 「待っているから…」 恵の気持ちに共鳴するように 今日も美しい月が 会津の空に東京の空に そしてあいつがいる何処かの空にも 輝いていた。 END END |
恵サンの独白?かな。これも中学生の時の作品です。お恥ずかしい。 |