*…思いやり。…*

思いやり。

 

「ぎっくり腰ぃ!?」

 

左之助が間の抜けた顔でそう言うと

恵は小さく頷いた。

 

「なんでまた…最近多いなあの爺さん」

 

「一回やると癖になっちゃうのよ。」

 

はいおしまい、と軽く左之助の

右手をたたいて恵は立ち上がってうーん、と背伸びをする。

冷えた風が診療所に吹き込んできて恵の黒い髪が揺れる。

風が身を突き刺すようである。もう真冬も近いのだろうか。

 

「で?だからって何で俺が?」

 

「…治療代だと思いなさい、いいじゃないの倉庫の整理くらい!」

 

左之助の気の抜けたため息に

恵の叱咤が飛ぶ。

 

玄斎先生がぎっくり腰のため、今日予定していた

倉庫の整理を恵一人でやらなくては

いけなくなってしまったのだった。

それは膨大な量で、女一人でやるのはあまりにも労力が多すぎる。

そこで、丁度右手の治療にふらっと現れた左之助に

恵が手伝ってくれと頼んだのだった。

ほとんど、命令であったが。

 

「…しゃーねぇなぁ…夕飯は…」

 

「食べさせあげるからさっさとこっち来て頂戴!」

 

黒い髪を一つに束ねて

少し幼くなった恵はまだめんどくさそうに

診療所の椅子に張り付いている左之助を無理やりはがして

裏の倉庫へと向かった。

 

 

*

 

「うわっ…すごいホコリねェ…。」

 

時は夕暮れ時、蔵を赤く染まらせている夕陽に照らされて

ちらっと蔵の中に光が差し込んだ。

 

珍しく戸が鉄でできていて、開けるのでさえも

女一人では力を要するような

重たい扉であった。

 

蔵の中には普段あまり使わないものが置いてある。

お客さんが来た時にしか使わない茶道具に

趣味で書いた水墨画、めったに読まない書物など、

所狭しと並んでいる。

 

「なんだこりゃ」

 

左之助が近くにあったものをつまんで

頭の上に?マークを浮かべている。

 

「…ホント…何かしらね」

 

そんなわけで意味不明なものも

ところどころに散りばめられているこの蔵。

 

「なんかお宝かなんかでてこねぇかな」

とかなんとか言いながら左之助は恵の

指示に従って倉庫の整理を始める。

すごいホコリで、倉庫の扉は開けっ放しであった。

そこから差し込んでくる光に

ホコリがきらきら反射して

なんだか綺麗に見える。

 

その光が、作業も終盤にさしかかったあたりで

突然、二人の視界からその光はバタンという音と共に、消えた。

扉がしまったのだ。

 

「あぁ?なんだ?」

「…っきゃぁ…まっ暗っ」

 

遠くで作業をしていたので

お互いがどこにいるのか全く分からない。

左之助は、この散らかった蔵で怪我でもされてはたまらない、と

恵の身を案じ、恵の名を呼んだ。

 

「おい、恵?大丈夫か?」

 

「………」

 

しばらく待っても返事が聞えてこない。

不審に思った左之助は暗さにやっと慣れてきた目で

手探りに恵を探して。

 

「恵?」

とまた、恵の名を呼んだ。

 

「さ…のすけ…」

二回目の問いかけの後、しばらくして小さな声が聞えてきた。

心なしか震えているようにも感じる。

 

「なぁに怖がってんだおめぇは…どこにいんだよ」

そのかすかに感じた声の震えにはあまり気を払わずに

左之助は手探りでその声のする方に進み

遠慮がちに、その声の主の頭に触った。

 

「おい…」

 

左之助はその触れた手を、はっと離した。

声の震えよりもひどく、恵の体は小刻みに震えていたのだ。

 

「………さの」

 

小刻みに震えた恵は自分の頭に触れた手を

ぎゅっと握って声を振りしぼった。

暗闇に慣れた左之助の目に写ったのは

勝気で、蓮っ葉な彼女とは到底思えない、

涙さえ浮かべた小さな子供のように頼りなく座りくずれる恵の姿であった。

 

「…今、あけてやっからよ…」

 

その瞳は何かに怯えているようで。

何か深い意味をそこに感じた左之助は

ぽんと、恵の頭をたたいて入り口の戸に手をかける。

 

「…!?」

 

すぐ開くと思ったが何故か開かない。

鍵がかかっているのである。

ちっと舌打ちをして左之助は恵の方へ向き直って。

 

「…おい。」

「何…?」

「鍵…しまってやがる。」

 

暗い倉庫に二人の声だけが響いて。

 

「この戸、壊していいかねぇ?」

 

答えを待たず左之助が右手を戸に置くと

声を振り絞った恵の声。

 

「だめ!」

「あぁ?」

 

左之助は耳を疑った。

あんなに震えてるのに、きっと恐ろしい思いをしているはずなのに。

 

「何言ってんだおめぇ…」

 

素直に思ったことを口に出す男である。

左之助はあきらかに不愉快な顔ではっきりとは見えない

恵の方を見た。

そこには必死に震える手を精一杯押さえながらも

『医者の顔』で左之助を見据える恵の姿があった。

そしてその唇がせつなげにこう動く。

 

「そんな戸壊したら、いくらなんだってあんたの手、ダメになっちゃうわ…

 だから、私は平気だから、やめてちょうだい。いいわね?」

 

「……………。」

 

左之助は一瞬、言葉を失った。

俺の手なんか大丈夫だ、おめぇこそ震えてるじゃねぇか、と。

そういおうと思えば言えたはずである。

しかし、ぐっと何かに押さえつけられてしまった。

有無を言わさない、医者の恵がそこにはいた。

 

「じゃぁ、どうすんでぇ」

 

扉を開ける方法をなくして

左之助は恵の傍に腰をおろした。

 

「朝まであかねぇとか、んなこたねーだろな…」

 

ちくしょう、とボサボサの髪をかいて

左之助は少しは落ち着いてきた恵のほうを見た。

その肌は白く、髪はどこまでも黒く輝いていて。

 

左之助は今日二度目、恵の姿に目を奪われた。

 

「だあっ!」

そんな自分を変に思ったのか気合の声(?)で

左之助は自分の足を拳で殴った。

もちろん、左手で。

 

「…何やってんのよあんた」

そんな意味不明の行動をとる左之助を見て、恵の顔に、ふと笑みがこぼれた。

 

「なんでもねぇ」

気恥ずかしくなり、また自分の頭をかりかりとかいて。

 

恵のことを女性として意識し始めたのは

そう最近のことではなかった。

珍しく自分が風邪をひいたとき恵が長屋に看病にやってきた

その時から少しずつではあるが、しかし確実に動くその心を左之助は

肯定したり否定したりして、現在に至ってきたのである。

 

そろそろ、自分の心のうちをイヤでも理解しなくてはならない時期に来ていることは

左之助にもうすうすであるが、本能的にそう感じ取っていた。

 

「くしゅん」

 

そんなことを頭の中くるくると巡らせていると

突然小さなくしゃみが聞えてきた。

思えば今は冬。夕方ともなればその寒さは容赦のないものである。

 

恵はその肩を今度は寒さで震わせて

またひとつ、くしゃみをした。

 

そんな恵を見て、左之助は暗闇の中何かかけるものを探し

立ち上がった。ちょうどいい厚地の着物があったので

それを恵のかたにそっとかけてやる。

 

「……?」

 

ふと舞い降りた温かさに恵は、一瞬驚いた顔をしたが

それはすぐに柔らかな笑顔に変わった。

 

そしてそっとつぶやく。

ありがとう、と。

 

温かそうにしている恵を見て、一安心した左之助は

きっと朝になれば皆が探してくれるだろうと

一眠りすることにした。

恵もそんな左之助を見て、その切れ長の瞳をそっと閉じた。

 

翌朝、二人で着物をかたにかけ

寄り添って眠る二人が発見され

みんなにからかわれるのは、また別のお話…。

 

                               END

気持ち的には「」の続きのようなお話です。さのめぐサイト様がどんどん閉鎖していくなか、風花庵は寂しい思いをしています。さのめぐ同志の方まだいらっしゃいますか!?(涙)これからも地道に布教(?)します。

さのめぐ投稿もまってますよぅ。最近さのめぐに飢えている美咲でしたぁ。     2002、12.30

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