*幸せの小道 *

 幸せの小道。

 

 


浅い浅い意識の中で

つらかった頃の夢を見ました

私は唇を、血が出るほど噛んで

声を押し殺して泣いていました

それはとても月が奇麗な夜で。けど

星達が鏤めた夢すら、もう見えなかった。

痛みが重なるごとに。止まることを知らない涙は溢れて

罪の中で生きて。苦しんで。あがいて。

 

それでも私は生きてあなたに出逢った。

 

 

*

 

 

会いたいと思った時には会える関係だった。

お互い素直じゃないことは分かっていたから、

もう互いの憎まれ口もそうそう頭にはこない。

あいつとの喧嘩は

ただ、じゃれあうためのたわいのないモノだった。

 

私の夢は、生き様は『医者として生きる』こと。

それはかつて憧れ、今でも友人として慕う一人の男が、

剣客が恵に求め、そして恵も選んだ生き方。

あいつには…左之助には東京は狭すぎた。だから世界へ飛び出していった。

 

 

 

でも、あいつは帰ってきた。私の傍に。

 

 

 

「……ふぅ。」

恵は不意に息をついた。

診療の帰りなのであろう、薬箱を手に持つ恵は、ため息が白い蒸気に変わって

空に上がっていくのをしばらくぼーっと見ていた。

会津。もう師走ともなると雪も降り出して、薬箱を持っている手も

その重みと寒さで震え、いつもよりひどく重く感じられる。

 

「あ…粉雪になってきたわね…」

とん、と降り積もる雪の上に薬箱を置いてしばし休憩。

恵は粉雪が好きだった。

雪のくせに何だか暖かい印象を受けてしまうからだ。

ふわふわ、ふわふわと細かい雪の結晶が舞い降りてくる。

 

恵は紅潮した頬を手で押さえて道の真ん中で立ち往生していた。

夕方になるといきなり寒くなる。

そんなことは百も承知なのだが

今日は急患があって帰りが遅くなってしまった。

家でぐーたらしているはずのあいつも今日ばかりは心配するだろう。

 

「さて…と、早く帰らないとね」

はぁ、ともう一度白い吐息を吐くと、恵は重たそうに薬箱を持ち上げた。

「恵」

「…左之助」

いざ歩き出そうとすると同時に、恵は自分の名前を呼ぶ夫の声を聞いた。

粉雪がちらついている前方を見ると

いささか怒りを帯びてこちらに向かってくる左之助の姿。

軽々とその薬箱を持つと

 

「迎えに行くって言っただろうがこの馬鹿!」

と、思っていたとおりの心配を含む怒声を一言。

「だって今日は急患が入ったし…。」

恵は頭にかかった雪をやっと開いた右手ではらうと、言い訳口調でそうつぶやいた。

「だってもくそもねぇよ、おめぇなぁ、俺は一度、そのなんだ?出張診療

 やってるとこまで行ったんだぜ?」

 

「ごめん…」

 

恵がいつになくしおらしい。というか素直だ。左之助は自分の頭にも積もり始めた粉雪を

まるで犬みたいに首を振って落とすと、「行くぞ」とそれだけ言って寒い小道を歩き出す。

無言で恵もそのあとを歩いた。前だったらスタスタとこんな雪道、

恵を置いて歩いてしまうだろう。

だが、恵が赤ん坊を身ごもってからは何だか不自然に優しく、

恵はその後姿に苦笑するのであった。

「あんま無理すんな」

いつもより遅めに歩いている左之助は恵が自分の隣に

やってくるのを待ってぼそっとつぶやいた。

「無理なんて…してないわよ、馬鹿」

 

今日の帰り道、夢のせいだろうか何故か昔のことばかりを思い出していた。

この隣にいる男に出逢ったばかりの頃。

『阿片女。』そう言われて言い返す言葉もなくて泣いたっけ。

自分の犯した罪に押しつぶされそうになりながら

なんとか生きていたあの頃。

左之助は悪くない。でもすごく傷ついたのを覚えてる。

 

 

でも―…。

 

 

「おれは馬鹿じゃねぇよ」

左之助はふてくされてそっぽを向いた。

それを見て恵は形いい唇をクスッと歪ませる。

恵はどうしてか、いつもは普通のことが今日は急に愛しく思えてくる。

 

 

『自分は幸せにはなれない。ううん、なってはいけないんだ』

無意識にずっとそう思っていた。

たくさんの人々が自分の阿片で苦しんでいる。

死んだ人もいる。きっとはかない幸せを失った人もいただろう。

自分のせいで家族、友人、恋人…大切な人々を失った人もいただろう。

あまりにもたくさんの人の苦しみや悲しみを作り出してしまった自分。

その償いのために少しでも多くの人を救おうと本当に自分のなりたかった

医者になってからも罪の意識にさいなまれ眠れない夜もあった。数え切れないくらいに。

幸せになる資格などないと。そう思った。

 

 

「不思議なものね…。」

「あぁ?何がだ?」

 

手を繋いだ片方の指ををきゅっと一度握り直しながら、恵はポツンと言った。

全く見当がつかない話に飛ぶのは恵のお得意だ。

恵のつぶやきに左之助は強くなってきた雪を気にしながら答えた。

 

「…なんでもないわ。」

 

恵はきゅっと唇を結ぶとからめた手をもう一度握りなおした。

 

「………。」

 

ふと、次の瞬間。

強くなってきた雪の中、重なる白い影。

左之助はぐいと恵を抱き寄せて。

いきなりのことで動揺する恵をもう一度強く抱きしめた。

顔を上げた恵と目があう。左之助は恵の唇に優しく口付けを落とすと

もう一度、今度は子供をあやすように、ポンポン、と恵の背中をたたいた。

 

「何泣きそうツラしてんだよ、おめぇは。」

 

ゆっくりと恵が胸に顔をうずめる。笑いながら、ふぅとため息をつくと左之助は言った。

「泣いてなんか…」

強がる恵に、左之助はまたふっと笑う。

 

 

――どんなに泣いても、この涙は、貴方には届かない。

  

そう思っていたあの夜は。もう来ない。

 

――ずっと傍にいて支えて欲しい。

 

自分のワガママだと思った。

でも今はその人の腕は優しく私の肩を包んでいる。

 

――幸せになりたい

 

自分には許されないと思った…

 

 

 

 

 

「左之助…わたし、ね…幸せ、よ…」

白い雪の中、溶けてしまいそうな、か細い声で恵は言った。

「馬鹿野郎、わかってらぁ」

その言葉で全てを悟ったように左之助は一度瞳を閉じた。

まだそのたくましい腕は恵の背中に回ったまま。

「ありがとう…」

 

左之助はまた笑ってもう一度優しく口付けをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出逢ったばかりの頃。

『阿片女。』そう言われて言い返す言葉もなくて泣いたっけ。

自分の犯した罪に押しつぶされそうになりながらなんとか生きていたあの頃。

すごく傷ついたのを覚えてる。

 

 

でも―…。

 

 

 

 

「ありがとう…左之助…」

 

 

いよいよ強くなってきた雪の中。

二人が出逢ってから幾年月。

影は未だに一つ、離れようとはせず。

 

耳元で何か囁いた左之助に

また一つ。

奇麗なしずくが頬から零れ落ちた。

それは白い白い雪に吸い込まれるように消えて。

 

 

笑顔に、変わっていく…。

 

 

 

END

                                           END

一周年記念にアンケートをとった所意外と(笑)多かったんですよ、『左之助帰還モノ』第2位くらいかな…?そうしたら、書いていくうちに『恵の贖罪』みたいなテーマも混ざってきてしまってラブラブには出来ませんでした。私のさのめぐはラブラブ率低いんですよねぇ…。ラブラブも書きたいんですけど。(笑)あ、でも今回は3回くらいチューvしてますね!!(こら)もしよろしかったら感想などお聞かせくださいね。2002.2.16 up *幸せの小道*

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