粉雪の中のかほり <あくあ様より>

粉雪の中のかほり

 ──明治22年 冬

 

「薫、大丈夫でござるか?」

 

 

気づかうように、剣心(39)が薫(28)を覗き込む。

この日、薫が発熱した。

横になっているだけで大丈夫だから、と薫が言ったので、医者には診せてはいない。

 

「母さん、大丈夫?」

 

 

息子、剣路が、剣心の後ろからひょこっと顔を出した。12〜14歳になる。

 

剣術が得意(好き)で、腕前は剣心以上、という説もある。

 

「お母さん、具合大分良くなった?」

 

今度は、娘、美雪がひょっこりと顔を出した。今年で8つになる。

薫ととてもそっくりなのだが、剣術とは無縁のようで、性格はひかえめで大人しい。

「そんな皆で心配しなくても大丈夫よ。ちょっと体調が崩れただけだから。明日には良くなるわ。」

少しほてった顔で、薫が微笑みながら、三人に言った。

 

「でも油断は大敵でござるよ!」

 

「はいはい、わかってます。」

 

 

うんざり口調で薫は言うと、そのまま眠りについた。

剣心が、そっと薫の額に張り付いている髪をとり、そして、湿らせた手ぬぐいをおいた。

 

「ねぇ、父さん。本当に母さん大丈夫なの?」

 

剣路は薫の言ったことを確かめるように、剣心に問う。

どうやら薫が無理をする性格を、剣路は心配してるようだ。

 

「本当に大丈夫みたいでござるよ。」

 

 

ニッコリと微笑んで言ってやると、剣路は安堵の息を漏らした。

次の日、薫の言ったとおり、本当に薫は元気になり、皆一安心した。

 

――だけど、これが、第一歩。

 

バサバサっと、たたんだ洗濯物が落ちる。

 

 

「・・・っあ・・・」

 

思わず胸を鷲づかみして、前かがみになる。

この頃、胸がひどく痛む。2、3度じゃない。熱を出してから四日間、既に数え切れないほど。

 

今のところは、痛みが続くのは、4・5秒程度である。

 

(診療所・・・行った方がいいのかな・・・・?)

 

行くとしたら、剣心たちには言わない方がいい。心配は出来るだけかけたくないから。

(隠し事っていうのも何か嫌な感じだしなぁ・・、まだ大丈夫よね。)←根拠はない。

スクッと立ち上がると、落とした洗濯物をもう一度たたんで、それぞれの部屋に運ぼうとした。

 

「薫?どうしたでござるか?」

 

背後から剣心の声がして、またもや薫は洗濯物を落としてしまった。

 

「あ〜、吃驚したぁ。何?何でもないよ?」

 

笑顔で後ろを向く。まだ、ばれたくない。だが、剣心は想像以上に鋭かった。

 

「病気ではないんでござるか?」

 

「・・・・何・・で?私は元気よ?」

「なら、いいんでござるが。病気だったら無理しちゃだめでござるよ!」

「わかってます。」

「・・・・・・」

とても心配ではあるが、剣心は家事がたまっている為、その場を去った。

剣心の後ろ姿を見届けると、薫は一つ息をつき、再度落とした洗濯物をたたんだ。

 

──小さな、一歩が、大きく、なって

 

「ここは・・・・、こうして・・・・、そうそう、そんな感じよv」

 

日課となっている、美雪に裁縫を教えること。

美雪はとてものみこみが早いので薫としても楽である。

(女の子っていいなぁvv)

今は、剣路君人形を制作中である。(剣心は作ったと思われる)

 

 

「ねぇ、お母さん。」

 

作業を続けながら、美雪が言う。

 

 

「何?」

 

「最近さぁ、剣術やってないよねぇ。」

 

突然の美雪のつっこみ。

 

「・・う〜ん、最近、何だか疲れやすくてね(汗)

 そろそろ、私も歳かしらねぇ。でも、そのかわり、美雪に裁縫を教える時間が増えて、とっても満足よv」

 

「お父さん、心配してたよ。」

 

「お父さんの心配はいつものことよ。」

 

 

確かに、と美雪が頷く。

日を重ねるごとに、胸の痛みは強くなっているが、まだ倒れたりはしていないので、

 

剣心たちにばれずに済んでいる。ばれたら、、とても心配をかけるはめになるんだろうか。

この日は、発病して、14日め。

この日、病気のことを知られることになる──

 

「あ、美雪、そこは─」

 

美雪の間違いを指摘しようとした、その時だった。胸の奥に、不快な、塊が沸き上がったのは。

 

それが、喉を逆流しようとして、咳が込み上げる。薫は、口元を押さえて、必死にそれを押さえようとした。

 

「お母さん、大丈夫?お母さ・・・」

 

 

─こらえきれずに、それを吐き出して、しまった。

それは紅い液体で、胸元にそれが染みを作り、口の中に鉄の味が広がる。

 

突然の、病気の悪化の告知。薫自信、ここまで悪くなっているとは思ってなどいなかった。

目の前が、真白く、なる・・・。

ドサッ

 

 

「お、お母さん!?」

 

体をゆすってみるが返事はない。

 

「お父さん!お父さん!!」

 

 

名を叫んでも、返事がない。時間的に、買い出しにでも行ったのだろう。

 

「どうした、美雪。なにか、あったのか?」

 

偶然、弥彦が廊下を通りかかった。

 

「お、お母さんが!お母さんが・・・・死んじゃう!!」

弥彦の袴をつかんで、必死で言う。

美雪は興奮状態にあって、自分では何を口走っているか、考えてなどいない。

ただ今は、母を助けてもらうことしか、頭にはない。

その言葉に、弥彦は目を見開いた。

 

「薫が!?薫がどうした!?」

「そこの部屋で....気を失って...早く、早くお母さんを!」

「剣心は!?」

「早くっっ!!」

 

美雪に言われるままに、弥彦は薫が倒れているという部屋に向かう。

 

こういう時、薫と美雪は、性格もにているな、と思う。

そんなことを思っている暇など、ほとんどなかったが。

 

誰も、薫が病気で、そして、こんなに悪化しているとも、思っていなかったから、皆、驚いた。

薫の病気は、「肺性心」という名の病気。

小国の説明によると、何らかの原因で、肺高血圧を起こした状態で、

 

激しい呼吸困難、胸部痛、発熱、あるいは喀血、失神などの症状が出るとのこと。

剣心が、何より、恐れていたことが、おころうと、していて。

この日、薫は「具合が悪くなったら、必ず剣心に言う」と約束し、眠りに就いた。

 

「薫、買い出しに行ってくるが、大人しくしているでござるよ!」

「だから、わかってるって。ちゃんと布団の中で暖かくしてます!

長生きするためにも、言うこと聞くわよ!」

 

「じゃ、行ってくる。」

「行ってらっしゃい(^^)」

上半身を起こした上体で、薫が剣心に手を振った。

とりあえず、剣心は買い出しに出かけた。

「まったく、剣心は心配症なんだから。そんなに心配しなくても死んじゃうわけじゃ─」

その辺は、薫にはイマイチわからない。

自分の命は、いつまで続くのか。剣心は、何も言ってはくれない。

 

「私には隠し事するなって言うくせに。剣心の馬鹿。」

 

ため息交じりで言うと、薫は横になった。

発病してから、20日め。発作の回数も増えて、痛みも強くなって、それが続く時間も長くなった。

 

横になっていても、それは、ある。

(こーゆー時は、寝るのが一番よね。寝よ寝よ。)

その一分後、薫の呼吸は寝息に変わった。

 

『薫さん、大丈夫ですか?』

 だれ?

『あまり、大丈夫ではないようですね。もうすぐ、あなたは・・・』

 あなたは、だれ?ここは、どこ?私は、もうすぐどうなるの?

『私は、、──です。ご存知ですよね?そして、ここは──』

 ここは?

『もうすぐ、分かることですよ。安心して下さい。ここは、苦しみも悲しみも、ありません。』

 もしかして、ここって・・・

 ここって・・・

 

ガバッと上半身だけ起こした。短い夢だった、気がする。

周りが白くて、そして暖かくて、そして──

これ以上は思い出せない。ついさっきのことなのに。

突然の寒さに、薫は手をこすりあわせた。

 

 

「冬だからっていっても、何か寒すぎじゃ・・・・あ・・、雪・・・」

 

外を見ると、白い粉雪が降っていた。通りで寒いわけだ。

不意に、ふわり、と何かの香りが薫のまわりを包み込んだ。

 

「この香り・・・もしかして・・・」

 

何かを確信して、薫は着物に着替えると、剣路たちに見つからないように、

 

こっそり外に出た。既に薫の頭の中には剣心との約束はないようである。

 

「やっぱり、、、桜だ。」

 

街を抜けて、少し歩いたところの丘の上に、一本だけ、桜の木がある。

その桜の香りが、風にでも乗って家まで届いたのだろう。

 

「わぁ、もう・・・こんなに咲いてる。」

 

桜が、ほぼ満開になっている。桃色の桜と、真白い粉雪。とても綺麗だ。

 

「たぶん、私が見る桜は、これで最後なんだろうね。」

 

桜の幹に手をついて、乱れた息を整えながら、空を仰ぐ。

 

ここまでの距離は、病気の体には流石にこたえた。

両手を広げて、粉雪のかけらをつかまえてみる。

 

とてもやわらかい粉雪。

 

手のひらに触れると直ぐに溶けて消えてしまう。まるで──

 

ズキッ

 

「・・うあ・・」

 

心の臓をえぐるような痛みが、薫を襲う。

 

前かがみになった時、つもりつつある雪が目に入った。

 

少しずつ、町が白くなっていく。その状況が、ここからはよく見えて、

 

綺麗で、何だか、胸の痛みも薄らぐような気がする。だけど

…それは気がするだけ。痛みは未だおさまってはくれない。そして、あの時の感覚が、また蘇った。

 

 

──ゴプッ

 

 

白くなりつつある地に、紅い染みがボタボタとできる。

木に背をもたれ、また空を仰ぐ。桜の匂いがこの辺りを支配していて、心地よい。

(だめだ、家に帰れそうにはないや・・・。)

ここで  私の人生は終点?

もう  この先にはレールはないの?

自分でレールを敷けるほど  私にはもう体力はないの?

体が、鉛みたいに重くて、歩けない。

(だめだ・・・とても・・眠・・・い・・・)

ゆっくりと、瞼が勝手に閉じる。

その瞬間、目に入ったのは、白い粉雪と、桃色の桜の花びらと、こっちに走ってむかってくる・・・人影。

「薫!」

薫の体がくずれ落ちる瞬間、剣心は薫のからだをつかんだ。

 

 

「・・・剣・・心・・・?何か・・・夢見てるみたいな感覚なんだよ、今。死ぬ前にね、

 

剣心にもう一度会いたいって思ったんだ。そしたら剣心が来てくれてねとっても嬉しいのよ。」

 

ズキン、とまた胸が痛んだ。呼吸がしにくくなる。

 

「・・剣心は・・・いつで・・も私・・・の・・ところに・・・来てくれる・・・。」

 

うっすらと目を開いて、微笑んだ薫は、何よりも儚くて、自然と、涙が零れた。

 

「もう話さなくていい!直ぐに、診療所に連れて行くから!」

 

「待って・・・、最後・・に言わ・・・せて・・・?私・・は、剣心・・・に会えて・・・幸せ・・・だよ・・・。」

 

レールを自分で敷けなくても、そんな時いつも剣心がいてくれた。

剣心の傍に、私はいつもいる。そのことを忘れないで欲しい。

薫の瞼が完全に閉じた。

 

「薫?」

 

 

いつもは直ぐに返してくれる、言葉はない。

 

「薫、返事をして。目を開けて!俺をおいて先に逝かないで!君が必要なんだ!まだ俺には君が、君が・・・っ」

 

君を濡らす降り止まない粉雪。桜の香りに包まれて、薫は先に逝ってしまった。

君をなくすのは二度めで、一度目の時にあまり君の大切さを実感できなかったようで、

 

今、更に君の大切さを知った。君をなくした時に初めて、

 

一人に震える自分を思い知らされた。お願いだから、もう一度俺の名を呼んで欲しい。

 

「薫っ!」

 

今はただ、冷たくなっていく君の身体を抱きしめて、涙を流すことしか、俺には出来ない。

 

薫の、通夜と葬式が済んで、やっと一人になる時間が出来た。

子供たちも、とても悲しんでいて、そして、慰める言葉も見つからない。

未だに、何も出来ないままの俺を君が知ったらどう思うのだろう。

あと一ヶ月程度で、春が来る。

春になれば、薫がいるような気持ちになるんだろうか・・・?

今は、桜の季節を待つばかり。

                                           第一部終了

失って始めて分かる、っていうの、あるんですよね。剣心の場合、薫をどんなに大切に思っていたか近くにいる時でさえ、十分に感じていたと思うんです。でも、失って、目を開けなくなって冷たくなっていく愛する人を自分は抱きしめ、涙を流すことしか出来ない。でもその薫のくれたもので、剣心は生きていくのでしょうね。

BACK                      NEXT