君の声が聞える 第六幕 『想い人』 |
『君の声が聞える』 意識がまどろむ。 低い男の人の声がどこか遠い場所から聞える さよ…なら? その男の人はそう口にした気がした。 いや、聞えた。 飛び交う光。 あれは、いつの日か見た蛍? …そして扉の閉まる音。 そして感じた 誰かの涙。 「………。」 薫は自分の意識がすぅと現実へと引き戻されていくのを感じた。 瞼を開けようとする意志を同時に、自分の瞼が開いていく。 ふと動かした左手の指にさらりとした感覚が 伝わってくる。 しなやかで、少し冷たい。 あぁ、剣心だ。 自分の寝台からゆっくりと身体を起こしながら 薫は直感的にそう感じた。 「―………!」 剣心、と。 彼の名前を呼ぼうとして薫の身体は凍りついた。 「―………っ!」 もう一度、その声にならない声が 自分の喉をかすめたとき 薫は今まであったことを一気に思い出した。 燕を助けようと思い一人で賊に挑んだこと そして足と頬を撃たれ倒れ 左之助が助けてくれたこと そして… ――私 声が 出ないんだ そう、自分の声を失って一月以上経つこと…。 薫が寝台から起き上がったとき、 剣心もその振動で目を覚ました。 「薫…殿…!」 剣心の瞳は漆黒を映しながらも、薫が目覚めた喜びに高揚し 大きく見開いていた。 そして、薫をゆっくりと寝台に起き上がらせた。 「………っ!!」 「…案ずることはないでござる。燕殿は…無事でござるよ」 薫は、自分の身よりも、まず自分が助けようとした燕の身の安全を案じた。 言葉は出なくとも、その表情から感じ取ったのか 自分の腕を強く握った薫の掌を ゆっくりとほどきながら、剣心は言った。 (…良かった…。無事、だったんだ…) 薫はその手の力を緩め、安堵の表情を見せる。 ――本当に強くて…優しい娘だ。 剣心はそんな清清しく、汚れをしらない薫に まぶしさを感じると同時に 自分に対してある種の淀みを感じて 胸のあたりが痛むのを感じた。 「五日間眠りっぱなしだったのでござるよ。 弥彦たちも心配しているゆえ、早く知らせてやりたい。 すぐ戻ってくるでござるから、しばし待っていて欲しいでござる」 剣心は薫に笑いかけ、診療室を出ようとしたが その扉を開いた瞬間、弥彦が飛び込んできた。 「薫!目ぇ覚めたのか?」 続けて左之助、恵、玄斎、燕と 見舞いにと朝早くから訪れていた皆が 診療室へなだれ込んだ。 そして口々に回復を祝う言葉を投げかけ、 皆はひとまず安堵の表情を見せた。 (みんな ありがとう) 薫は、足の痛みもしばし忘れて にこやかに微笑んだ。 弥彦は薫の寝台のそばで久しぶりの憎まれ口を言っている。 燕などは安心して、薫の近くで泣いていた。 剣心は皆より一番遠いところで嬉しそうに笑う薫を見ていた。 左之助はそんな剣心を見て、恵に合図をする。 恵もその合図に気がつき、口を開いた。 「さぁ皆。嬉しいのは分かるけれど、これから診察だから 少しはずして頂戴ね。申し訳ないですけれど、玄斎先生も少し、 はずして頂けますか?」 あとでまたくるから、と皆それぞれの言葉を残して 散った。 診療室には恵と薫だけ。 恵はふぅとため息をついて、そのあと微笑した。 「とりあえず、良かった…。本当に皆心配したんだからね?」 うん、と薫は小さく頷いてもう一度ありがとうと口を動かした。 「目覚めたばかりでこんな話をするのもなんだけれど… 早いほうがいいと思って。いい?あなたのために話すのよ? ようく聞いて頂戴。」 そういうと、恵は薫に紙とすずり、そして筆を手渡した。 薫もその真剣さを身で感じ、深く頷いた。 でも、その薫の瞳はどこか不安げで落ち着きがなくて。 恵はこの状態で話をするのはどうであろうかと 一瞬ためらったが、自分を諭すように 首を小さく振ると口を開いた。 「単刀直入に言うわ。剣さんがここから…神谷道場からいなくなるつもりよ」 薫は視線を落とした。 どうして?とは聞かなかった。 何となくではあるが先ほどの剣心の様子が微妙に違うように 感じていたのは、薫も一緒だった。 とても寂しげだったのだ。 先ほどの剣心の笑顔は。 いつも近くにいたから、分かったことであった。 「何も聞かないってことはあなたも分かっているってことね?」 薫はこくりと頷いた。 神谷道場の皆と同じ時間を過ごしながらも 『自分はここにいていいのか』という疑問を 剣心がまだ持ち続けていることは、少しだけ、何かの予感のように、薫は感じていたのだ。 今回の事件がその答えを出すきっかけになってしまったのかもしれない。 「今回の事件は剣さんを逆恨みした連中があなたをさらって、あなたを傷付けた。 剣さんは全て自分のせいだと思って自分を責めてる。守れなかったって」 ――もう言わないで 薫はそう叫びたくなる衝動に駆られた。 その感情とは裏はらにその声は喉につかえて。 代わりに悪寒がして、体が震えた。 「落ち着いて―…といっても無理な話よね、ごめんなさいね? ここからいなくなって流れるのは剣さんの自由よ、だけどね…」 恵は一息ついた。 そして、あの日京都でも言ったように。 力強く、薫に言った。 「あなたには剣さんを止める権利があるわ、そして力もね」 そして薫の震える手をぎゅっと握った。 「―…分かるわね?」 薫は恵の手をぎゅっと握り返した。 言葉にならない思いが、涙となって頬を伝った。 嬉しかった。 反面、迷いもあった。 あの人は流浪人。 本来なら、その手で殺めた人たちへの贖罪の為に その命を心から尊ぶ己の為に 今この世の中で苦しんでいる 弱き人々の為にその剣を振るってきた人だ。 そんな風にとても強い信念の元 その剣を振るっている あの人を 自分が 自分の思い、その1つだけで 彼をここへ留めておくことは 許されるのだろうかと。 今までも考えたことがあった。 ただ、今までは 『剣心がいなくなるなんて考えたくない』 とその答えを出すことを無意識のうちに 拒んでいたのだ。 どちらが正しいかなんて、分からなかった。 「つらいわね…?でも薫さん、あなたじゃなきゃ駄目なのよ」 薫の頬に流れた泪は、形を崩して流れた。 剣心がいなくなるかもしれないという不安 そして自分の声が出ないという不安。 「――………。」 恵はその想いを痛いほど感じながら 姉のように、薫の頭を優しく撫でた。 ――もし剣さんが人斬り抜刀斎じゃなかったら…時代が違ったら… この子はこんなつらい想いをしなくても良かったかもしれないのに… 恵は泣きじゃくる薫を見て、そう思った。 ――馬鹿ね、そんなこと考えたってどうにもならないのに。 それに剣さんにあんな過去がなかったら 今の剣さんじゃないものね―…。 それはあの子が一番良く分かっているはずだわ すぐに自分の考えが浅はかであったと、 タメ息をついた。 「いい?気を強く持って。剣さんは京都へ一人で向かった。 もう一度流浪人になる覚悟を決めて。 でもね、あなたに『ただいま』って。そう言ったわね。」 薫はようやく落ち着きを取り戻して 深呼吸した。そして一度深く頷く。 そう、あの剣心の『ただいま』が。 唯一といっていいほどの 薫の心の支えだった。 僅かな自信であった。 「あの剣さんが『ただいま』って、あなたに言ったのだから。 もうここまで言えば分かるわね?」 (あなたは剣さんの帰る場所…) 恵はその言葉を飲み込んだ。 薫に自分でそのことを自覚して欲しいと思った。 否、むしろ彼女はそれを自覚していると 信じたかった。 薫は息を整えると恵に渡された 筆に今日始めて 字を書いた。 『ありがとう』 さらさらと綺麗な字が、 今日は何故か悲しい。 『でも ひとりに して ください』 薫の書いた文字に、彼女の涙が滲んで すぅと消えた。 「…分かったわ」 恵はその切れ長の瞳を伏せてそう言った。 「足はしばらく人の助けがいるけど…あなた次第よ。 何かあったらすぐ呼びなさいね」 泣き止んで寝台の上で静かに何かを考える薫を 横目で見つつ、恵は寝台の戸を閉めた。 (全ては、あなた次第…) 恵は閉じた扉を背にもう一度その目を伏せた。 視線の先には窓の外にいる赤い剣客の姿。 (…私が出来るのはこれだけよ) 「恵。どうなんでぇ、嬢ちゃんは」 声をかけたのは、二人の話が終わるのを 廊下で待っていた左之助だった。 「どうもなにも…ぼろぼろよ。言いたい事は言ったわ。 あとは、あの子次第…そして剣さん次第。」 恵は手を額に当てて、ふぅとタメ息をつく。 薫の声が出なくなってから 一体何度目のため息であろう。 「想いあっている二人が離れるほど…残酷なことはないわ」 「…あぁ」 診療室の窓に夕陽が傾く。 剣心の髪の毛の色をした緋色の光が 診療室を包んだ。 薫はその光の中、ぎゅっと手を握っていた。 END |
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