好き【めだま様より頂きました】

好き

 

最近何をするのにも億劫になって、どうも気分が優れない。

   午前中、診療を終えてもまだ、何かがつかえている様ですっきりしなかっ

  た。

 

  「よぅ。」

 

   見慣れた赤鉢巻の男が静かになった診療室に入ってきた。

   いつもは憎まれ口のひとつでもたたいて出迎えてやるところだが、その憎

  まれ口を考えることすら脳が放棄する。

 

  「なぁに。」

 

   机の上を片付けながら、ただそれだけを口にした。

   一体どうしたものだろうか。

 

  「なぁに・って・・・。剣心たちが昼飯、赤べこで一緒にくわねぇかってさ。」

 

   左之助は少し拍子抜けする。いつもの元気が無いことに気がついたよう

  だ。けれど、別に何もいわなかった。たまには元気が無い事だってあるだろ

  うし、左之助がすぐに何かしてやれるわけでもなかったから。

 

  「今日は・・・。」

 

   日付を見る。今日は水曜日。昼からの診療は休みだ。

 

  「そうね。行こうかしら。」

 

   笑みを浮かべたはずなのに、目の前にいる左之助がなんていうか、訝しげ

  な、不思議そうな目でこちらをみている。

 

  「何かついてる?」

  「あん?・・・えーと。」

 

   左之助は言葉を捜しているのか、しばらく黙った。

 

  「何でもない。」

 

   左之助は沈黙を自ら破り、そして背を向け、裏庭に下りた。恵も続いて草

  履を履く。

   今日はとても天気がいい。春から夏に移り変わるころ。心地よい風と、ち

  ょうどいい暖かさ。誰もが一番好きだというに違いない、そんな日だった。

   赤べこに行くには人通りの多い道を通らねばならない。

   川沿いの道をたどって行くと、少しずつ通行人が増え、家々に囲まれた小

  路から視界が開けてゆく。

   恵には、ふと、いつも通っているはずのこの道が、どこか不思議な場所に

  続いているような気がした。

   いつもと・・・少し違うよ?

 

  「おぃ。」

 

   声をかけられて我に返る。少し前に左之助が立っていてこっちを見てい

  る。

   恵はぼぅっと立っていた。自分が動いているのかどうかさえわからないほ

  ど意識が飛んでいた様子。

   いつもと少し違うのはどうやらわたしのようね。

   恵は自分が可笑しくて左之助に笑いかける。そのとき、腰が砕けてへたり

  と座り込んでしまった。

 

  「恵ィ?」

 

   左之助は恵がふざけているのだと思った。普段はこんなことはしないはず

  だと思っていたのだが。

   しかし、恵のほうは本気で恥ずかしくなって顔を赤くした。ふざけている

  わけでもなんでもない。

   左之助は近づいて恵の顔を覗くべく、姿勢を落とす。

 

  「どうしたんだよ?」

  「やだ・・・。腰抜けた・・・。」

 

   すれ違ってゆく人々が興味ありそうに視線をちらちら向けてくる。

 

  「腰抜けた?ばあさんのぎっくり腰じゃあるめぇし・・・。」

  「・・・・・・。」

 

   恵は黙っていた。情けない上恥ずかしいし、どうしてこんなになったのか

  わからないからこの上ない。

   恵が一向に顔を上げないので、左之助はようやく本当なのだと察知した。

 

  「しゃーねぇなぁ。」

 

   左之助はひょいと恵を抱き上げるともと来た道をたどりだした。小国診療

  所の方向へ。

   先ほどよりもさらに多くの通行人の視線を浴びる。

 

  「ちょっと・・・何するのよ!」

  「何するって、しょうがねぇだろ。それとも歩けんのか?」

 

   左之助はいたってまじめな顔でそういう。

   恵は異常な速さで脈打つ心臓を胸の中に収めながら、なるべく左之助の顔

  を見ないよう、うつむいている。今までこんなことがあっただろうか。どう

  して。いつからおかしくなったんだろう。

   人はほとんどいなくなった。診療所の前も通る人はいない。

 

  「おーい、いねぇのか?」

 

   施錠されているガラス戸の前で左之助は家にいるかもしれない誰かに呼び

  かける。昼から休みだからか、診療所の主は外出中らしい。

   左之助はふうとため息をつく。

 

  「・・・いいわよ。」

  「え?」

  「もういいから下ろして頂戴。」

 

   半ば乱暴に突き飛ばすように恵は左之助から離れた。

   どこか、おかしい。

   さすがに左之助も気づいた様子。

   恵は本当にもう何もないように、一人で立っていた。

 

  「さっさと赤べこに行かないと、お昼、食べ損なっちゃうわよ。」

 

   ふいと顔をそむけながら言う。

   そのとき揺れた前髪の下に左之助の大きなてのひらが滑り込む。

   額に触れた、暖かい感触。

 

  「風邪でもなさそうだけどな。」

   

   左之助の一挙手一投足にまるで怯えているかのようにビクビクと心臓が反

  応する。そんな心臓を抱えながら、恵は全ての記憶を失ってしまいたい衝動

  に駆られていた。

   目が泳ぐ。

   顔を、正視できない。

   体を巡る血が、熱くてたまらない。

 

   柄にも無い。

   そう言って笑われるのだろうか?

   それでもいい。それのほうがいい。

   悪い冗談で。いつもの日常のひとかけら。

 

   口を開いたその瞬間。

 

  「す・・・――。」

 

   額にあてがわれていた手が、白いほほの輪郭をたどる。

   唇がその動きを止めて。

   

   赤い鉢巻と、長い髪が揺れて。

 

   顔が近づいて。

 

   口付けた。

 

   驚いて顔を見上げようとしたけれど、すぐにぎゅっと抱きしめられて、そ

  れは叶わなくて。

 

  「なんで・・・・?」

  「・・・何がだよ。」

 

   視線は交わらないまま、言葉を交わした。

   傍にいるときにも感じなかった大きさと暖かさが、苦しい。

 

   どうして。

   胸のつかえがさらさらと流れ落ちてゆく。

   それはしだいにすべてと溶け合って、後も残らない。

 

   ピントが合ったように視界は晴れ上がって。

 

   こんなに、晴れてたの。

 

   お互い、それ以上の言葉は無くて。

   ただ、精一杯の力でしがみつくように抱き合っていた。

 

 

   こんなにも傍にいたのに、こんなに苦しくなるまでわからなかったなん

  て。

   案外、鈍感だったらしいわ。

 

  「うふふ。」

  「何だよ。気色悪ィ。」

  「あら、何よ。気色悪いだなんて。失礼ね。」

 

   腕の力を緩めて、互いに離れた。

   やっと、顔を見ることができた。

   言えずじまいの言葉も、飲み込んでもわだかまりを残すことは無かった。

   いつ、言ってやろうかな。

 

  「さあ、お昼食べ損ねちゃったし、どうしましょうか。」

  「くそっ、牛鍋・・・。」

  「残念ね。」

 

   気付けてよかった。

   それは左之助のおかげだったけれど。

   苦しくて死んでしまいそうだったから。

 

 

   好き。

 

 

   いつか、この言葉で不意打ちを食らわせてやろう。

 

 

                 

めだま様から頂きました。さのめぐ小説です。皆様、いかがだったでしょうか^^。小説投稿フォームで、めだまさんがこんなに素敵な小説を送ってくださいましたvv恵さんを左之助がおんぶ!というなんともおいしいシュチュエーションに読んでいるこっちがにやにや…(笑)な甘―くて可愛い小説でした。また風花庵に宝物が増えました!!感想BBSなどで、感想お待ちしております。

めだま様、素晴らしい小説有難うございました。                    2004.6.20

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