白い恋人達
― 今も忘れない 恋の歌 ―
昔、ブラウン管の向こうで。
髪の短い甘ったるい声の女優が言っていた。
濡れたように輝く、大きな瞳で。
艶めいた、赤い唇で。
― 忘れないって、自分の意志で忘れようとしないの? ―
― それとも心の奥にいつまでも残って忘れられないの? ―
その言葉は、今も私の心に小さな棘として、刺さっている。
忘れられない歌がある。忘れられない人がいる。
+
+
白いドレスに身を包み、他の男の物になろうとしている私。
柄にも無く、感傷的になってみる。
だって、風に揺れるカーテンの隙間から覗く空が、あんなにも青いから…
「白い恋人」の歌詞を口ずさんで、懐かしいあの頃に思いをはせた。
アイツと出逢ったのは降りしきる山桜の中。
+
+
目にも爽やかな薄紅の花弁が潔く風に舞い、黒いアスファルトの上、桜が路を白く染め上げる。
薄汚れたガードレールに寄りかかり空を見上げる。
瞳に映るのは、ふわりとやわらかい水色と、触れると壊れそうな桜色。
太陽から届く光は午後からのものにしてはひどく優しい。
まるで一枚の絵のようなやさしいやさしい春の午後。
時間さえ存在しないような甘い空間。
― 現実さえ見なければ。 ―
現状は恋人だった男と派手に喧嘩、そして山道に一人。
人でなしを乗せた車はとっくの昔に視界から消えた。
捨てゼリフと共に。
「…っ!」
顔をしかめて脚を見下ろすと、靴と素肌の間に擦れたような赤い傷がいくつか。
やっぱり、ヒールの高い靴と山道の相性はよろしいハズもなく。
でこぼこの多い砂利道なんか、満足に歩くこともできやしない。
「あ゛〜ムカツク!!あの◎※●×野郎がっ!」
ロクデナシ野郎を口汚く罵(ののし)っても返ってくる言葉も無く。
柵の向こうに広がる水気を吸ってやわらかい腐葉土も、色とりどりの小石の転がる砂利も、春風に乗って香る数かな桜の香も、今の私の前では意味を成さない。
思わず弱気になりかけたその時、微かに空気が震えた。
+
+
確かに聞こえる車のエンジンのそれ。
だんだんと近付いて来る。
暗い闇に沈んでしまいそうな思考に一筋の光。
もっとシンプルに言えば― 地獄に仏。
ヒッチハイクの要領で、親指を上向きに立て道路に向ける。
崖の影から出てきたのは一台のバイク。
急なカーブを見事に制した、野性的で荒々しい運転。
「なーんだ。バイクかぁ……。」
できれば車で快適に帰りたかったけれど、この際背に腹は代えられない。
惚れ惚れするような体躯のライダーがチラリと視線をこちらに向けた、その瞬間。
くるっ。
手首をすばやく返して親指を下へ。俗に言う、『地獄に落ちろ』のサインを実行した。
驚いたライダーが視線を外すタイミングを失い………
ガッシャーン!!
盛大に転んで、派手な音が静かな山道に響き渡った。
「オイコラ。」
ライダーがバイクを起こしてこちらに向かってくる。
あれだけ派手に転んだ割には目立った外傷も無く、目の前のライダーがバイクに乗り慣れてる事を教えてくれた。
(これはイイモノ拾ったかも♪)
背中の半ばまで伸ばした己の髪を左手でかきあげると怒りの露(あらわ)なライダーに近寄って頭部を守っていた黒光りするヘルメットを奪う。
中から現れたのは、ぼっさぼさの鳥頭。そして…
まっすぐな瞳にぶつかった。
頭一つ分違う背の高い男の瞳は遠い昔に別れた誰かを思い出させる。
深いワインレッドに塗った唇を弓の形に曲げて男の前をすり抜けると止めてあったバイクのタンデムシートに座る。
高く脚を組むとミニスカートのスリットから太股が惜し気も無く見えた。
「私、高荷 恵。アンタは?」
「へ?」
「アンタの名前。」
「あぁ、相楽 左之助。」
「そ。じゃあ、左之助!ほら、早く。」
「はぁ?」
「もー飲み込みの悪い男ね。早く私を山から下ろしてちょーだい。」
「俺が!?」
「ほかに誰かここに居る?アンタって頭だけじゃなくて目まで悪いのね。」
「…っ何だと…」
「も〜。いいから。早くして。ずーっと歩きっぱなしで足が痛いの。
………それともアンタ、困ってるカヨワイオンナをこんな山ん中に放置するつもり?まったく、男の風上にも置けないわね。」
一気に捲し立てて自信たっぷりな視線で見つめる。
悔しそうな表情の左之助に、私は勝利を確信した。
+
+
振り出した雨に悲鳴をあげたスーツ。
雨に煙る道路は、灰色じみて悲しみを一層引き立てる。
安っぽいピンクネオンの灯るホテルの一室で。
当たり前のように身体を重ねた。
私自身が驚くほど、自然に。
熱を孕んだ指が触れるたび、ドキドキした。
いっそ不自然なほど、オトナな男の子。
外見よりずっと育ちが良くて、真っ直ぐで。
乱雑な言葉とは裏腹な、優しい心遣い。
会って間もないなんて感じさせないほど、気持ち良い空間を提供してくれた。
見知らぬ女のヤケ酒に付き合い、泣く場所を貸してくれた。
まるで高校生の時みたいに。
初めての時みたいに。
胸の鼓動が制御できない。
涙がこぼれるのが我慢できなかった。
人並みに恋もした。
修羅場だって潜って来た。
それでも。
この、胸にあふれる泣きたくなるような気持ちを言い表すことなんてできない。
この、ただ寝顔を見ているだけで苦しくなるような感情は、知らない。
熱を帯びた肌にぬるいシャワーが心地良い。
すっかり乾いたスーツに腕を通して(寝てる時だけ)あどけない顔にそっと唇を寄せる。
「さようなら。今度出会うなら、面倒を抱えてない可愛らしい女の子にしておきなさい。」
財布からお札を一枚、サイドボードの上に置く。
シンデレラを気取ってピアスを片方、側に置いた。
初めて買ったルビーのピアスは朝焼けにひどく映えて、なんだか泣きたくなった。
起さないよう慎重にドアを閉めて、ゆっくりと歩き出す。
カバンから取り出したケータイで、私を山道に放置したロクデナシ野郎に電波を飛ばす。
2、3回のコールの後、聞こえた粘着質な声。
聞きたくなくて、要件のみを話す。
「……あのお話お受け致します。伯父様には貴方からご連絡しておいてください。」
目が覚めた時、アイツは怒るかしら?
それとも私らしいって笑ってくれる?
恋心とはとても言えないこの胸の痛みは、言葉にできないこの感情は、私だけのもの。
もう2度と会えないアイツのおかげで、少し、救われた気がする。
「バイバイ。」
小さな呟きが爽やかな水色の空に溶けた。
END
|