白い恋人達 〜再会。〜
出逢ったのは偶然。
それでも、一年近く前のほんの些細なことが今でも忘れられないでいる。
身体は白いドレスに囚われたまま、心だけがあの頃を欲し続けている。
望まない婚姻を結んだ後でも仕事を続けたかったのは本当。
それでも、あんなことになるなら、アイツと再会を果たすのなら、望まなければ良かった。
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清潔感を伴った白い、閉鎖的な部屋。
それが私の仕事場。
消毒液の匂いが身体に纏わり付く。
ずっと夢だった職業に就く事ができた。
「失礼します。高荷先生、急患です。」
「はい。」
保健室に運ばれてきたのは、小柄な少女。
担任の先生に抱き上げられて来た少女の顔は、蝋のように白い。
「貧血ですか?」
見目の良い緋い髪の先生に尋ねると、涼やかな声で頷いた。
確か…名前は緋村…だったかしら。
寝台に導いて、白い布団を掛ける。
「クラスと名前は?」
「……1年7組、神谷 薫です。」
「ありがとうございました。もう緋村先生は…。」
「いえ、一時間目は授業が無いので付き添っていようかと……」
視線が、寝台に向かう。
労わるような、甘やかな視線。
愛しさが、視線を通じて伝わってくる。
すこぅし、からかいたい衝動に駆られた。
「そんなにその方が大事なんですか?」
「はい。………いえっ!!………えっと…」
一瞬困ったように瞳が揺れる。
そのまま顔が朱に染まる。
「安心してください緋村先生。ちゃーんと黙ってますから♪」
「あ…ありがとうございます。」
少し安心したように笑んだ緋村先生の首に腕をまわして頬のラインを指のエナメルでなぞる。
血のように緋い爪がやわらかな頬のラインをすべる。
「………その代わり。緋村センセvあたしとイイコトしません?」
思いっきり茶目っ気たっぷりに微笑みながら、真っ直ぐに瞳を見つめた。
すらりとした首筋に腕を絡ませる。
「困ります。…高荷先生。」
予想に反して慌てた様子のない緋村先生に内心面白くないと感じながら、言葉を続ける。
「そんなこと言わないで。緋村先生……」
カーテン越し、空気が揺れるのを知って。
呆れたように腕を解こうとした緋村先生の視線が固まる。
秒針が時を刻む事を放棄した。
……そんな風に思えるほど冷たい時が流れた。
視線の先、少し乱れてはいるが艶やかな黒紫の豊かな髪。
濡れた、星のように煌く漆黒の瞳。
雪のように白い肌に、薔薇色の頬。
さくらんぼのように瑞々しい唇。
制服をまとうバランスの取れた伸びやかな四肢。
白雪姫さながらの美少女が、そこに居た。
生気のない、蝋のような肌は一転して赤く。
閉じられた瞳は明けられて瞬間生気に満ち溢れていた。
言葉を失いそうなほど、見つめていた。
これほどの若さがうらやましかった。
ショックから立ち直ったらしい美少女 ― 名を神谷 薫という ― は、
瞳に怒りの炎を宿して、こちらに向かってきた。
「離れて!!!……あ、あなたねぇ。」
絡めた腕を強引に引き離しながらも頭の中が混乱しているのか、言葉が成立していない。
「だ、誰よあなた。ががが、学校の中で、こんな事していいと思ってるの?」
とてもロレツのまわってない少女をちらりと見て、髪をかきあげる。
若いだけで、あいつに相応しい目の前の子に嫉妬にも似た感情が生まれた。
きっと並ぶと一対の人形のように愛らしいに違いない。
髪をかきあげて、上から見下ろすようにして語りかける。
「アタシの名前?高荷 恵よ。ココの養護教諭よ。………
それと、緋村先生はダメよ。アタシのだから。」
「アタシの。って…。アタシの。って…?」
くたり。
「…っ。薫っ!」
崩れ落ちるように意識を失った少女の身体をやわらかく受け止めて、抱き上げる。
声をかける暇もなく出て行こうとする緋村先生が、ふとこちらを見て言葉をこぼした。
唇の端が、可笑しそうに歪む。
「高荷先生、生徒をからかうのも結構ですが、遊びすぎて嫌われないようにしないと…
3年は受験もありますからね。」
「ええ…だから遊んでいるんですけどね。」
冷たく澄んだ瞳に向かって艶然と微笑んで見せる。
微かに瞳が見開かれ、そのまま音を立てずに出て行った。
保健室と下界を隔てる扉が完全に閉まったのを見、小さくため息をつく。
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胸のポケットからシガレットケースを取り出し煙草を指に収めると、
先を細身のシルバー製のシガレットライターに近づけた。
息を細くゆっくりと吸い込み、紫煙を吐き出す。
もう一度扉が開いて、長身の男が大きなコンパスで背後に近寄ってくる。
私の左手から煙草を奪うとそのまま自らの唇に挟んだ。
同じように紫煙を吐き出すのを背中越しに感じて後ろに手を伸ばす。
しばし宙を彷徨った腕は、じきに男の首筋に触れた。
脈が、指に振動を伝える。
顔を上げると、見慣れた左之助の顔。
ゆっくりと引き寄せる。
重なった唇から、同じ煙草の香りがした。
つい、一ヶ月前。
ここの臨時養護教諭になった。
その、1番目の来客が、アイツ。だった。
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静かな廊下に響く足音。
乱暴に開けられた扉。
一瞬どころの話ではなく、時が止まった気がした。
目を見開いたままのあたしを乱暴に掻き抱き、キスをした。
ワインの口紅が、白いシャツの胸元と、唇に移った。
見上げるほど、大きな背丈。
ぼっさぼさの鳥頭に、真っ直ぐな瞳。
忘れるはずだった、思い出の中だけの人が、目の前にいる。
全校生徒の前での挨拶のすぐ後の出来事。
年相応の笑顔が眩しかった。
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無機質なチャイムが二人を引き裂いて。
短い別れの言葉を交わす。
あいつが出て行った後の物足りない空間に一人、脚を組んで座っていた。
静かに開けられたドアに視線を上げる。
アイツはこんな静かな開け方をしない。
視線の先には、黒紫の絹糸。
「あら、あなた確か…」
「先生、確か結婚なさるんですよね?」
言葉を切り捨てるように遮られる。
胸の奥がちくりと痛んだ。
でも……、だから。ことさらにっこりと笑んだ。
「ええ、そうよ。」
「相手は今の人?」
「そんな事ある訳無いでしょう。」
「先生あの人の事好き?婚約者の人は?」
「さぁ…どうかしら。」
「だったらあんなこと…」
「キスもセックスもたいしたことじゃないわ。ただの行為よ。」
言葉にした途端、神谷さんの瞳がカッと怒りに燃える。
「キスも、………それ以上もすっごく特別なことよ。本当に大好きな人とじゃなきゃイヤよ。
少なくとも私は。」
「…………子供ね。」
星のように輝く瞳が、怒りを宿したまま憤然と出て行く。
来た時とは対照的な乱暴な閉め方。
外はいつのまにか重い雲が立ち込めていて。
雨が、アスファルトを黒く、コンクリートを白く染め上げる。
END
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