幸福の人魚姫。
恵は複雑な顔をしていた。
左之助も複雑な顔をしていた。
「俺が…人食い鬼?」
無言で頷く恵。
「…………。」
「…………。」
しばらく考え込むようにしていた左之助は、ふんっと溜め息をついた。
「あーあ。ひでぇよなぁ。」
少し睨みつける感じで自分を見上げる恵を横目で見ながら、思いっきりいやみったらしく言い放った。
先ほどの自分の行動がよほどバカらしく恥ずかしかったのか、いまだに頬を染めている恵がかわいらしい。
いつも一本取られていた分、今日はきっちりからかっておかなくては…。
「船から降りて一番にここに来てやったんだぜ。
剣心や嬢ちゃんたちのとこにも寄らずに…」
その一瞬、並んで歩いていた影の小さい方が遅れをとった。
剣心と嬢ちゃん。
王子様と隣国のお姫様。
今朝の夢を思い出してしまった。
私。
人魚姫。
諦めたんじゃなかったの?
違う。私は人魚姫なんかじゃない。
左之助も隣人の様子がおかしいのに気づいたようである。
俺、なんかいけねェこと言ったっけ?
まずいと思いつつ、恵の様子をうかがってみる。
少しうつむき、目を伏せている辛そうな恵みの表情は、
彼に自分がここへ来た当初の目的を思い出させるに十分であった。
「恵……俺は……」
「……知ってる?」
恵の声が乱入してきたことにより、第一回戦は失敗に終わった。
「え……何?」
心の中で舌打ちしながら、自らの言葉で消された部分を再度問い出す。
「『人魚姫』っていう話。知ってる?」
「人魚?姫?」
左之助が知っているのは、「人魚姫」ではなく「人魚」と「姫」だ。
魚の頭に金ぴかのかんざしをつけ、十二単を着て海の中を泳ぎ回る女の姿が左之助の脳裏をかすめた。
何とも言えないショックに襲われる。
「………||||ι」
「……知らないのね。ならいいのよ…。」
恵は左之助の表情から、なんとなく左之助の考えたことを理解した。
そして左之助もまた、そのとき重大なチャンスを逃した気がしていた。
「人魚姫」って話はなんか重要だ。
信州の大根農家長男の第六感である。
というわけなのであくる日、早速彼は行動を開始した。
「なあ、すまねェが、『人魚姫』ってのはここらの民話か何かかい?」
その日朝一番に左之助に声をかけられた男は、
「いや、知らないねぇ」と言って、ごく普通に通り過ぎて行った。
「なるほどねェ。」
男の対応を見て、左之助は自分が「人食い鬼」であったのを初めて認識した。
昨日診療所に帰ってすぐ、恵に言われ髭を剃り、
伸ばしたまま放ったらかしにしておいた髪の毛を紐で束ね、衣服を洗濯してもらった。
今の左之助は、もはや昨日とは別人である。
幾日か前ここ会津に到着して、恵の居場所を聞き出そうと人をあたった時と
今の男との対応の違い、それだけ比べれば一目瞭然の結果であった。
しかし、左之助が「人食い鬼」の姿でなくて実に幸いであった。
「人魚姫」の話は、ここらでは恵以外には子供たちしか知らないのだ。
大の男でさえおびえて逃げ出すような格好をしていては、
まだ幼い子供達が自分の話など聞いて、答えを返してくれるはずがなかったことになる。
しかもその日は運が良かったのか、
何度目かに訪ねた女達の子らが、ちょうどその話を聞いてくれていたのである。
「お兄ちゃん『人魚姫』知らないの?」
「え、ああ。もしかして…おめェら知ってんのか?!」
「うん!」と言った子供達の笑顔を見て、左之助は溜め息をつきながらその場で脱力した。
「『人魚姫』ってのはお伽話かよ…。」
てっきり民話か、でなきゃ流行りの本かと思い込んでいた左之助。とんだ落とし穴だった。
しかしこれも恵のためなのだ(おそらく)。
こんなところであの餅っぽい某パンダキャラ状態になっとる場合ではないのだ。
「その話、全部覚えてっか?」
「聞きたい?」
「うん。」
子供の話す言葉はかなり理解し難かったのだが、さすがは吸収力の強いおちびさん達。
最初から最後まで抜けるエピソード一つなく話しぬいてくれた。
* * *
恵は一人だった。
日も沈みかけているというのに灯もつけないで、薄暗い診察室。
変だ。
最近、私はなにかおかしい。
ずっとそんなことを考えながら一日一日を過ごしている自分。
原因は考えなくても分かる。
そう、「人魚姫」。
彼女のことが気になって仕方がない。
人魚姫は幸せになれなかった。
愛する人のために。
私もそうなのかしら?
「剣さんが幸せなら私はそれで十分。」
あの言葉は嘘でないって自分でもちゃんと思ってた。
じゃあ王子様が幸せなら人魚姫は幸せ?
ううん。納得いかない。もっと別の方法があったはず。
少なくとも次へ進むための方法くらい・・・。
「お前がそんな面してっと、『剣さんの幸せ』とやらも結構台無しになるんじゃねェのか?」
あの時そう言ってくれたのは――――――
「!」
誰かがやって来た音だ。
いや、「やってきた」のではなく、「帰ってきた」のだ。
真っ直ぐに足音が診察室に近づいてきた。
「……どこ、行ってたの?」
診察室に入ったとたんの冷たい声と目に、一歩引く左之助。
めずらしく昼食に帰らなかったのがいけなかったのだ。
せっかくいい情報を手に入れて話題を見つけてきたのに、今度は状況が悪化してしまった。
本当に面倒な女だ。
気は強いし口は悪いし。
かと言って好きな男にふられるといつまでもずるずる引きずって立ち直れないし…
けど。
けど好きなのだ。
口うるさいところも、きりっとした医者の姿も、
自分ではない他の男をずっと思い続けているところも。全部。
「恵。『人魚姫』って話、知ってるか?」
「?」
昨日自分が目の前の男にしたのと全く同じ質問を、男は自分の口から問うてきた。
その質問に対して、この男は否定の答えを返したはずなのに、それが今は立場が逆だ。
しかし、男が期待しているのは「否定」ではなく「肯定」の答えなのだと恵には分かった。
確実にうなずいて見せて、恵は左之助をしっかり見据える。
そうすると、薄暗がりの中で、左之助が白い歯を見せてにやっと笑ったのが見て取れた。
「??」
「いいか、お前は人魚姫じゃねェぞ。」
「っ!??」
見た目でも動揺しまくっているのが分かってしまう恵は実に面白かったのだが、
今は「おふざけ」はなしだ。
思えば、昨日再会してから実に四度目の試みなのだ。
いい加減ばしっと決めなければ…。からかっているのかと思われているのかも知れない。
「…だぁ…誰がそんなっあたしが人魚姫だなんて誰もっ…」
「だってよ、人魚姫もお前も王子様や剣心の幸せのため、だろ?
『剣さんが幸せなら私も幸せ』だっけ。人魚姫の幸せもお前と同じじゃねェか。
…ただよぉ。人魚姫は消えうせて終わっちまった話だけど、お前の物語はまだ終わってねェんだぜ。」
「!」
左之助が一呼吸おいている間、恵は呆気に取られていた。
そしてそのまま左之助の話は続く。
「で、ものは相談なんだけどよ…その…第二の物語、俺とつくらねェか?」
「………は?」
「〜〜っ〜だっから、俺が次の王子様になってやるっつってんだよっ!!」
恵を見ると、赤面するわけでもなく、ただぽかんとしている。
外したか……?
左之助は、自分でもくさいことを言ったと、恵の代わりに真っ赤になっていた。
その沈黙は長かった。
きっと左之助には、たった一秒が、地球が太陽の周りを一周してしまうくらいの時間に思えただろう。
しかしその後、がんばった左之助に極上のご褒美が待っていた。
それは、二十代女性の少女のようなあどけない笑顔と、彼女からの抱擁。
そして、
「考えとくわ。」
耳もとでささやかれたソレだった。
素直でないところが実に恵らしい。
しかし、嬉しいこと、照れくさいこと、そして、自分はまだ終わっていないと言ってくれた時、
左之助がこの世で一番好きになれそうだったこと…自分の気持ちは十分に伝えたつもりだった。
物語は始まったばかり。
王子様が現れたとたん「結」なんてあるはずない。
やるからには起承転結、しっかりやってやろうじゃないか。
その内にきっと、素直でない彼女も「考えて」おいてくれるはず。
そしてその物語は――――――
「幸福の人魚姫」
***HAPPY HAPPY END.......***
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
あああ…vvvなんて素敵なお話なんでしょう…vv
惚れちまいましたよ、私は。
最後の結びのところなんて最高ですね。
恵さんらしくて。もう素敵過ぎて逝ってきます(壊)
ど真ん中っちこんな素敵な小説ありがとうございましたー!(>▽<)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞